第46回 修養講義

昨日、5月19日(日)に修養講義を実施しました。
今回も多くの塾生が参加してくれました。
中には、当塾の卒業生(社会人1名、大学生3名、高校生2名)の参加も見られました。
久しぶりの再会です。

今回の講義内容は、「お金」をテーマにした講義を行いました。
ここ数年円安が続いています。
特に今年に入り急激に円安が進んでいます。
子供たちには一見関係ないように思われますが、私は危機感を抱いています。
ただ円安だけを取り上げたところで、子どもたちの記憶に残るような講義を実施することは難しいです。
そんな時でした。
「きみのお金は誰のため」というビジネス書でもある小説を読んだのは。

この本の作者は、長い間金融の世界で仕事をしてきた人です。
そのような人が書いたとは思えない、お金に対する考え方に私自身とても感銘を受けました。
このようなお金の考え方が、今の子どもたちに限らず多くの日本人に必要なのではと感じています。

講義では、子どもたちも参加し考えてもらうために、事前にお金に対するアンケートを取りました。
アンケート内容は、
①あなたにとってお金とはどういうものか?
②お金自体に価値を感じているか?
③お金を使うとき一番意識することは?
④お金で買えないものはあると思うか?
この中で②の質問の答えは、全員が価値を感じていると答えました。
当然と言えば当然です。
ところが、「きみのお金は誰のため」には、お金自体は価値がないと書かれています。
では、なぜ価値がないのか、今回の講義で大切な部分です。
ここは全員が分かるように詳しく解説しました。
その結果、最終的には③の答えが大きく変わりました。
初めは、値段や自分に必要なものかどうかを意識していたのですが、お金を使った時に得られる物であれ経験であれ、その後ろにくっついている大切なことに目を向けられるようになったようです。
このブログを見た方は、私の解説がどういったものか気になると思います。
ここですべてを書くと長くなりそうなので、是非「きみのお金は誰のため」を読んでみてください。
きっと、すっきり分かると思います。

後半は、お金つながりで、明治維新後の大蔵省をまとめた大隈重信を取り上げました。
大隈重信と言えば、早稲田大学創設や内閣総理大臣としても有名ですが、地租改正を行った実績が大きいと感じています。
日本の納税の形を、米から円にしたのですから。
大隈重信は、器の大きな頑固者というイメージがあります。
ただ言葉だけで大隈重信を知ってもらうよりも、明治の鉄人と言えるエピソードがあります。
それは、大隈重信が51歳の時に爆殺されそうになった暗殺未遂事件です。
凶器は銃や刀ではなく爆弾です。
子どもたちは一様に驚いた様子でした。
右足を失うも命に別状はなく、その後内閣総理大臣を務め83歳まで生き抜きました。
本当にすごい偉人です。

今回の講義で子どもたちに一番伝えたかったことは、お金や物はなくなってしまうということです。
お金だけに執着しすぎてしまうと、お金の大小でしか物事の価値を判断できない人になってしまいます。
少し恐ろしい話もしました。
日本は地震が多い国です。
今年の元旦には、能登半島地震が起こりました。
世界情勢も不安定です。
ヨーロッパや中東では戦争が続いています。
北朝鮮は、間髪入れずにミサイル発射実験を行っています。
極端な話かもしれませんが、突然自分のお金や住んでいる家が奪われてしまう可能性もあるのです。
自分のお金や大切な物がなくなってしまったとき、役に立つものと言えばひとつしかありません。
それは、今まで自分が培ってきた「知識」だけです。
頭の中の知識だけは、生きている限り誰にも奪われることはありません。
だからこそ、今学校で習っていることや経験していることは、とても大切で本気で取り組む必要があるのだと伝えました。
講義をしていて、ふと昨年観た映画「ラーゲリより愛を込めて」を思い出しました。
年甲斐もなく涙が溢れた映画です。

さて、今回の修養講義、参加してくれた塾生たちは何を感じたのでしょう。
今回私が感じたことは、講義開始時と後では子どもたちの表情が変わったことです。
講義を終了した時、全員が私の方を真剣なまなざしで見ていました。
きっとそれぞれの心に、何かしらの言葉が刺さったのかもしれません。
子どもたちの心の奥は分かりませんが、とても良い時間が共有できたと思います。
今回の修養講義は、個人的に大満足な回でした。
また次回も様々なことを伝えていきたいと思います。